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タトラとハンス・ルドヴィンカ(2)

 ルドヴィンカは、小型リヤエンジン車の設計手法をそのまま拡大して大型リヤエンジン車を開発することにした。基本技術やコンセプトはV570を踏襲した大型セダン、T77の試作車を作り上げた。全長5.2mのヤーライ式流線形ボディはオールスチール製(当時は木骨構造が主流)で、フロアパネルと結合したセミモノコック構造であり、フロアパネルはきわめて平滑にデザインされていた。リヤエンジンのめボンネットが短く、ホイールベースは3.15mとまさに大型リムジンのサイズである。ボディ幅が広く、前後フェンダー間のステップがないフラッシュサイドとしているのも革新的だった。当時のリムジンはフロントフェンダー幅よりキャビンが狭く、サイドステップを張り出すのが主流であった。ラゲッジやスペアタイヤ、燃料タンクはボンネット内に設置し、さらにリヤシートとエンジン隔壁との間にも大きなラゲッジスペースを設けた。乗員は5人乗りで、前後のアクスルの間にゆったりとしたスペースが確保されていた。
 リヤ・エンジンのため、Cピラー上部にエアインテークをレイアウトし、ラウンドしたリヤエンジンフードには多数の排熱ルーバーがある。さらに直進安定性を高めるために垂直フィンを取り付けていた。まるで飛行機の垂直尾翼である。プロトタイプや最初の試作車ではなんとセンターステアリングを採用し、ドライバーの左右にシートを配置した前席3人乗りであったが、これは量産後すぐに左ハンドルに改められた。

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↑T77

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↑T77の美しいリヤビュー

 T77はオールスチール・ボディ、フラッシュサイド、流線形デザインなど、当時の大型リムジンとして飛び抜けた革新性を備えていた。その革新性は、例えば同じく33年に登場したメルセデスベンツ290などと見比べると、一目見ただけでタトラT77の圧倒的な先進性がわかるはずだ。ちなみにCd=0.212と公称されている。
 リヤに搭載されるエンジンは、3.0Lの空冷V8・OHCである。サスペンションはフロントが上下横置きリーフスプリングによる独立、リヤはジョイントレス・スイングアクスル+上部横置きリーフスプリングだ。
 量産型T77は、1934年のベルリンモーターショーで発表され、大きな衝撃を与えた。35年にはエンジン排気量を3.4LにアップしたT77aにマイナーチェンジした。ヘッドライトは3個で、中央のライトは操舵に応じて動く可動式であった。
 T77はタトラ社の経営判断により、ハンドメイドのプレステージリムジンと位置づけられ少量生産であった。つまりは超高級車だったのである。
 T77は瞬く間に名声を博したが、開発総責任者のルドヴィンカ、設計主任のE,ウーベルレッカーはこのT77に満足していなかった。T77はリヤ荷重が過大であり、車両重量も1.8トンあったため、軽量化、荷重配分の適正化を実行することにした。そして1936年に生まれたのがT87である。

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↑T77改、すなわちT87プロトタイプとウーベルレッカー。新エンジンを搭載している。

 エンジンは新設計のオールアルミ製3.0Lの空冷V8を作り搭載することにした。この新エンジンは75馬力を実現した。リッター当たり出力はトップレベルである。この新アルミエンジンによりリヤ部分を330kgも軽量化することができた。またボディ全長、ホールベースはT77より短縮し、全長4740㎜、ホイールベース2850㎜とし、さらにボディ構造は箱型断面フレームとアウターパネルを溶接した完全なモノコック構造とされた。これは世界初である。空力面ではボディ短縮によりCd=0.251となった。
 スイングアクスル式のリアサスペンションは、横置きリーフから縦置きの1/4カンチレバー・リーフスプリングによるトレーリング支持タイプに変更された。
 T87は新エンジンの性能が高まったことで、最高速160km/h、巡航速度130km/hを実現した。これは当時では傑出した高速性能といえる。
 高速性能だけではなくキャビン内の居住性もさらに改善され、当時随一のラグジュアリーカーとされ、T87は世界的に革新的な高性能車という評価を得て、ルドヴィンカの最高傑作とされている。T87は37年から製造されている。T87は少量生産の高級車であったが37年から1950年まで生産が続けられ、累計は3000台を超え、各国への輸出も行われた。
 なお、当時のドイツのプレミアム・リムジーンと同様に、T87は生産規模からいってアウターパネルなどはすべて簡単な治具を使用して職人がパネルを手で叩き出していたものと思われる。豪華な内装ももちろん職人による手作りであろう。

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↑T87

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↑T87のレイアウト図

 T87に引き続いて、1.8Lの空冷水平対向4気筒OHCエンジンをリヤに搭載したより小型モデル、T97が開発され、37年に発売された。T97はT87の縮小版で、コンセプトや技術はそのままに、小型化をはかったのだ。VW・KdFなど水平対向エンジンはカムシャフト1本のOHVが常識であったが、タトラは従来どおりチェーンドライブOHCとした高性能エンジンを採用していた。T97はエンジン、パッケージングとデザイン、性能のいずれをとってもこの時代の最先端であった。ちょうどこの頃、ヒトラーが提唱していたKdF(労働者向け国民車)の最後に煮詰めを行っていたポルシェ博士はルドヴィンカと定期的に会い、議論、情報交換を行っていたという。
 したがって、T97とVWタイプ30(KdFのプロトタイプ)はきわめてよく似ている。ただし、T97の価格はKdFの予定価格の5.5倍もしたのであるが。小型とはいえ高級車であった。

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↑T97のシャシー。確かにVW・KdFとよく似ているが、T97の方がはるかに高性能だった。

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↑T97のリヤにマウントされる空冷水平対向4気筒OHCエンジン。
 
 1938年、ナチスドイツはオーストリアを併合し、39年にはチェコをも併合することになった。このためタトラ社もドイツ軍管理となり、軍用トラックや装甲車の生産に専念せざるを得なかった。ロシアの寒冷地でもアフリカの砂漠でも稼動するタトラの高性能トラックは、ドイツ軍にとって貴重な存在であった。またドイツはT97の製造を禁止した。その理由はVWのKdFと酷似しすぎているからといわれている。
 その一方で、T87の生産は継続が許された。T87はドイツ軍の高級将校などに愛用され,軍需大臣のF.トートも高速性能に優れた高性能車として認め自らハンドルを握ったという。
 ナチスドイツが敗戦により崩壊した後、タトラは戦後もT87の生産を続けた。ただしチェコはソ連の影響受け、チェコ・スロバキアという共産主義国家となってしまった。
 それでもT87は、1950年までに累計3018台が製造された。
 ハンス・ルドヴィンカは共産体制下でナチ協力者とされ、1951年まで獄中にあった。皮肉なことにポルシェ博士と同じ境遇となったのである。しかし51年に釈放され、タトラ社への復帰が勧められたが、ルドヴィンカはチェコを去りオーストリアに移住し、技術コンサルタントとなった。さらにその後はドイツのミュンヘンに移り住んだ。ルドヴィンカはポルシェ博士より長生きし、晩年までT87のハンドルを握っていたという。1967年、ミュンヘン市内で交通事故により89歳で死去した。
 戦後のタトラ社は国家統制のもとで、ミドルレンジの乗用車とトラックの生産に専念することになった。小型車はシュコダが担当した。ルドヴィンカが収監された後は、彼の弟子たちが開発を受け継ぎ、1947年にT97の後継車というべきT600(タトラ・プラン)を開発し発売した。T600は空冷水平対向4気筒で、排気量は2.0Lであった。
 T600はチェコのみならず周辺国でも人気を博したが、51年に政府の決定により、T600の生産はシュコダに移管され、タトラはトラックの生産に専念することになった。

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↑T600(愛称はプラン)

 しかし53年に、再びタトラに乗用車の生産の再開が許されたため、ユリウス・マカールなどルドヴィンカの弟子たちは大型のリムジン、T603を開発した。新開発の軽量なアルミ製の2.6L・V8・OHVエンジン(より軽量化のためにOHVに変更した)を搭載し、ボディはより近代的な、というより未来的なセンスで美しく仕上げられた。T603の発売は57年で、75年まで生産された。
 その後、T603の後継車としてT613が開発された。このモデルはイタリアのヴィニヤーレにデザインを依頼し、その結果従来の流線形から脱皮し、デザインは直線ラインを多用した近代的なイタリア車のようになった。エンジンはDOHCのV8に強化された。またこのモデルからエンジン搭載位置が前進し、リヤ・アクスル上になり、デフはオイルパンの下側に置かれた。またフロント・サスペンションはストラット式に、リヤ・サスペンションはセミトレーリング式に変更されている。

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↑T603 未来的な独特のデザインで、ヨーロッパには熱狂的なファンが存在する。

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↑T603

 このモデルは1996年まで少量生産され、後継モデルとしてT700が開発されたが、この生産は軌道に乗らないまま、1998年にタトラの乗用車生産の歴史は幕を閉じた。奇しくも、1997年にはポルシェは伝統の空冷水平対向6気筒エンジンを廃止し、新型の996には水冷エンジンが搭載されている。タトラ、ポルシェの大排気量の空冷エンジンは、主として排ガス対策のために終焉を迎えたのだ。

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↑T613 従来とはまったく異なる、ヴィニヤーレのデザインが採用された。

 しかし、ルドヴィンカの遺産とも言うべきトラックは、現在でもリヤ・スイングアクスルの形式で、空冷ターボディーゼルエンジンを搭載し、生産されている。T815,T813などのトラックの高性能さとタフさは、パリダカールラリーでもじゅうぶん証明されている。

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↑トラックのフロント・サスペンション。縦置きトーションバーを採用。

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↑6輪仕様の駆動レイアウト。鋼管バックボーンを使用。駆動輪数はモジュール設計化されている。


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↑6輪仕様の後輪レイアウト。赤い円錐はダンパーとバンプ/リバウンドコントロールを兼ねる機能を持つ。

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↑ルドヴィンカの遺産、堅牢なジョイントレス・スイングアクスルは現在でも活用されている。

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↑パリダカール・ラリーでカミオンクラスの頂点に位置するタトラ6輪駆動トラック。6輪駆動、8輪駆動車のシャシーはロケットランチャーや自走砲車のシャシーとしても使用されている。

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