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公道テスト

 昭和16年(1941年)にトヨタが発売した乗用車・AE型(エンジンは新開発の4気筒・2.2L、45馬力、ホイールベース2500㎜、5人乗り中型乗用車)は、発売前公式試験では、名古屋-岐阜-富山-金沢-福井-京都-大阪-和歌山-白浜-四日市-名古屋の一般道や山道を1500㎞走行した。当時はこうした公道テストで、型式認定を行う商工省輸送機課の官僚も同行している。最高速度は97.2km/hだったといわれる。
 考えてみると、上記の走行コースは当然ながらほとんど未舗装であり、山岳路が多いので、まさにラリー走行のような状態だったものと思われる。
 ただ、最高速などはもちろんコンクリート舗装の場所で行ったのだろう。

 戦後も、オートバイのテストなどは第2京浜国道の多摩川寄りの場所で行われることも珍しくなかった。モーターファン誌で、初めて本格的な定量的試験評価、すなわちロードテストが実施されたのは愛知県・一宮市の国道で、最高速テストもここで行っている。この時のテスト車はみづほ製作所のキャブトン号のテストで、100km/hであったという。

 その後、脚光を浴びたスバル360の運輸省型式認定試験は、小田原付近をスタートし、国道1号線で箱根を登るというもので、現在の箱根駅伝と同じコースである。
 空冷エンジンが焼き付きせず、力強く箱根の坂を駆け上ったことでスバル360の高性能、信頼性が高く評価されたことはよく知られている。
 国道1号線で、型式認定テストが行われていたのである。

 このように、日本でも公道テストは珍しいものではなく、昭和40年代に入っても自動車雑誌のテストは公道で行われることが多かった。
 運輸省・工業技術院・村山試験場(村山テストコース)を借りるのがなかなか難しかったからだろう。またこの村山テストコースはゼロヨンが計測できないほど狭いという欠点があった。
 1964年に日本自動車研究所・高速試験場(谷田部テストコース)が完成すると、自動車雑誌のテストコースとして有名になった。ここはもともとは自動車メーカーが共同出資して作った高速テストを行うためのコースだった。だから谷田部は自動車雑誌や部品メーカーが頻繁に使用するようになったわけだ。はしかに180㎞/hでバンクを走行でき、直線部で最高速を計測できるという点で魅力的なテストコースではあった。
 しかし現実にはこの頃には自動車メーカーは独自のテストコースを建設しはじめており、以後は自社のテストコースで各種の試験を行うようになり、公道テストはわずかに公道耐久試験や確認試験などを残すのみになっている。
 ただ、日本車の輸出が多くなったこともあり、海外では、依然として公道テストが実施されている。
特にアメリカ、オーストラリアが多く、その後はヨーロッパの公道でのテストも頻繁に行われるようになっている。

 ヨーロッパの自動車メーカーは、定量的な試験のみを自社のテストコースで行い、その他のテストはほとんど公道で実施し、最終確認としてニュルブルクリンクでのテストを行うのが通例である。日本の自動車メーカーも、自社内テストコースだけでクルマをテスト&チューニングするのには無理があり、やはりリアルワールドである公道テストをしなければ車は煮つまらないという認識は、ここ数年で定着しつつある。ただ、残念ながら日本国内での公道テストはなかなか思うように実施できないというジレンマがあるのは確かである。
 

 

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