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ポール・フレール

 ポール・フレール氏が亡くなった。91歳というから、まあ大往生だろう。
 近年では、バイクで転倒して脚を骨折したり、昨年にはニュルブルクリンクで事故を起こし、長期入院するなど、怪我をものともせず最後まで走り続けていた。
 杖を突き、よろよろと歩く姿を見せていたが、さすがにクルマに乗り込むときちんと走る。
 ベルギーのフランス人街で生まれたベルギー人で、1940~50年代にはF1グランプリ、50~60年代にはルマン24時間に参戦し優勝しているが、レーシングドライバーというより、その後の自動車ジャーナリストで有名になった。特にアメリカと日本で有名だ思う。
 とうのも、アメリカの自動車誌、Road&Track誌のヨーロッパ担当、日本ではCAR GRAPHICのコラムで有名になったからだ。小林彰太郎編集長が、親友にして神様扱いをした影響も大きいだろう。小林彰太郎はクルママニアが自動車雑誌の編集長になったわけで、クルマに関しても運転に関しても素人であったが、それに比べればF1ドライバーでもあった、ポール・フレールは確かに神様なのだが。
 ポール・フレールは決して辛らつなジャーナリストではなく、どのクルマでもよいところをほめるといったスタイルだった。
 だから、日本の自動車メーカーは、ポール・フレールに褒められたといって有頂天になったりしたが、それはちょっと勘違いだったと思う。
 しかし、その後には、数社はわざわざ新車のテスト時や新車試乗会にポール・フレールを招待し、好ましいコメントをもらって、それを日本のジャーナリストに伝えるといった奇妙な光景も見られたわけである。
 そんなわけで、ポール・フレールは高齢にもかかわらず、実に来日回数は多かった。
 シャーナリストとしての仕事は、「ポルシェ911 ストーリー」が有名だ。彼はルマン24時間レースではポルシェのステアリングを握る機会が多く、ポルシェとは最も親密な関係を築いたので、この、「ポルシェ911 ストーリー」が生まれたのだろう。
 実際、ジャーナリストが大嫌いなF.ピエヒも彼だけは特別扱いにしていた。
 しかし、古きよき時代を知る最後の自動車ジャーナリストであり、生涯現役のジャーナリストだったと思う。

 

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