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ニュルブルクリンク物語

 ニュルブルクリンク・サーキットは、ドイツ北西部のアイフェル地方の古城、ニュルブルク城の周囲の自然の地形を生かした歴史的なサーキットである。しかし通常のレース用のサーキットと言うイメージはまったく異なり、山岳地域の中を巡る高速のワインディングロードといった感じである。

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↑ Google Earthより

 特に北コースは特異な存在で一体が森林であり丘陵地帯であり、ニュルブルク城を取り囲むようにコースがレイアウトされている。高低差は300m、コーナーの数は172もあり、しかもほとんどは3速ギヤ以上の高速コーナー。コーナーの多くは森に視界をさえぎられたブラインドコーナーとなっている。またコース幅が狭く、コース外側のエスケープゾーンもわずかで、コースアウトするとガードレールに衝突する。このため、普通のサーキットではスピンしてもなんら問題がないのに対し、ここではスピンするとクラッシュし車両が壊れてしまう可能性がきわめて高い危険性を孕んだコースなのだ。
 また路面は、一般的なサーキットのような専用の舗装(通常はサーキット専用舗装で、摩擦係数が高くタイヤがグリップしやすい)ではなく、一般の地方道と同じアスファルト舗装がほとんどであるため、他のサーキットより滑りやすく、また路面のうねり、舗装の荒れなどもある。また秋にはコースのあちこちに枯れ葉ガが舞い、山地であるため天候も変わりやすく、コースの一部で霧や雨ということも珍しくない。このようなコース状態のため、レースだけではなく、自動車メーカーの高速テストコースとしても有名である。このコースでテストを行うことでクルマのロードホールディング、安定性やコントロール性、エンジンパワー特性などを総合的に性能を熟成することができるとされている。
 まさに公道感覚のコースなのだ。
 高速カーブが連続していながらカーブの先が見通せず、しかもクルマのコントロールを失ったりスピンすれば、即大きなクラッシュ事故となるため、ステアリング握るドライバーの心理的な重圧はきわめて大きく、安全性が高い通常のサーキットを走るのとはまったく異なる。このように一般の公道を走るのと同等以上のプレッシャーの下で、クルマの走りを評価することにニュルブルクリンクのテストの意味があるのだ。
 したがって、ステアリングの正確さ、シャシーの安心感、コントロールのしやすさ、入力が大きな場合のサスペンションの動きの滑らかさや乗り心地のよさ、エンジンの冷却性や安定性、タイヤの安定性とグリップ力のバランスなどが試される。当然操縦性は、穏やかなアンダーステアであることが求められる。
 市販スポーツカーは、この北コースでどのくらいのラップタイムで走行できるかが、そのクルマの性能のひとつの指標になっている。もちろんラップタイムを記録するのはプロのテストドライバーである。ただ、誤解されているのは、単なるサーキットの速さとしてのラップタイムではなく、どれだけ安心してアクセルを踏めるか、ブラインドカーブをどのていど攻められるかといった、クルマの挙動がどれほど安定しているかという点での指標なのである。
 ちなみにドイツのニュルを知り尽くしたドライバーはニュル・マイスターと呼ばれる。男性はもちろん女性にもマイスターはいる。現に、ニュルブルクリンクでのドラインビングスクールの講師にも女性はいるのだ。こうしたマイスターは、個々のカーブの状況、小雨が降ったらどこが滑りやすいか、どこの縁石は攻めてよいか、などをすべて習熟している。
 したがって、彼らのニュルブルクリンクのラップタイムは速い。しかし、速いと言うことと、ニュルブルクリンクでkるまを評価することとはまた別問題であることはいうまでもないだろう。
 
  このニュルブルクリンクのコースはどのようにして生まれたのか?
 
 第1次世界大戦に敗れたドイツは、敗戦の傷跡が大きく、しかも戦勝国に巨額の賠償金を支払わなければならず、ハイパーインフレが進行し、深刻な不況に陥っていた。社会は不安定で、大量の失業者が生じていたため、これを救済するための公共事業として当時のワイマール共和国政府が巨大なサーキットの建設を決定した。
 なおこのアイフェル地方は当時はドイツ最貧地方であった。アイフェル山岳地域のアップダウンのある地形を生かしながら、しかもドイツの地方道路を再現するコース設計とされたのが最大の特徴で、1927年のオープン当初は全長が22.8kmの巨大な北コース(Nordschleife)と全長7.7kmの南コース(Sudschleife)の2つに分かれていた。コースはたびたび改修され、現在は北コースが20.8km、旧来の南コース以外に新南コースが4.5kmとなっている。新しい南コースは1984年に建設され、1985年のドイツ・グランプリからはこの南コースで開催されている。新南コースは現在的なサーキットで、コース幅やエスケープゾーンが広く、地形もフラットで、きわめて安全なコースであり、同じニュルブルクリンクでも北コースとはまったく様相が異なっている。

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↑建設中の風景。

 ドイツの地方道路を再現したコースと言う意味は、レースも公道レースの性格を持たせたということの他に、クルマのテストにも使用できることである。

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↑1927年のアイフェルGPで優勝したO.メルツ(メルセデスS)。当時はナビゲーターも同乗する2名乗車。左から3人目のスーツ、ソフト帽子姿はF.ポルシェ(当時はベンツのエンジニアとして在籍)

 なお、ニュルブルクリンクのコースはナチスドイツ登場以前に完成したが、その6年後にナチス政府が資金を提供してコースが若干改修されている。なおナチスは党の幹部が、ヒトラーを筆頭に自動車マニアが多く、ニュルブルクリンクのみならずアウトウニオン、グランプリレースなどを積極的に支援した。

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↑1931年のレースのポスター。右上の山頂にニュルブルク城が描かれている。

 1934年にニュルブルクリンクで開催されたアイフェル・グランプリではメルセデスベンツのグランプリカーは事前の車両検査で車両重量規定をわずか1kgオーバーしていたため、チームは、苦肉の策としてボディの純白の塗装を一晩かかって剥がし落とし、アルミむき出しのボディにゼッケンを貼り付けてレースに参戦したエピソードは有名だ。このアルミ地むき出しのグランプリカーでマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝した。
 これがメルセデスベンツのシルバーアローの伝説の始まりとなった。

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↑1934年から採用された750kgフォーミュラGP。メルセデスGPカーを駆るハツッエンバッハ。

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↑当時のピット・ガレージ。メルセデス・チームの整備風景。

 1939年のアイフェル・レースではヘルマン・ラングが12気筒エンジンを搭載したシルバーアローで9分52秒の新記録を樹立し、1956年までこの記録は破られなかった。
 また戦前のニュルブルクリンクでのレース開催はこの1939年が最後となり、以後は戦争のために開催されなかった。

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↑アウトウニオンの主任設計者となったポルシェと、V16気筒エンジンをミッド搭載したPワーゲンの名ドライバー、ベルント・ローゼマイヤー。

 第2次世界大戦中には、ニュルブルクリンクの特別観覧席にあったホテルは臨時の住宅や病院として使用された。
 またコースは敗戦直前の1945年には戦車群の走行や砲爆撃により大きな被害を受けている。西方から進撃してくる連合軍に対するドイツ軍の抵抗拠点のひとつとされたからである。
 
 戦争によりコースは大きな被害を受けたにもかかわらず、戦後のニュルブルクリンクの復興は意外と早く、1947年にアイフェル・カップ・レースが開始されている。
 この当時の入場料は、ワイン、ソーセージ、パンの消費チケットを含み5ライヒであった。まだワインも食料も容易に入手できなかった時代のことである。

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↑再開時のオートバイレース(1947年)観客は詰め掛けた。

 4年後の1951年には、戦後初のドイツF1グランプリが開催され、ニュルブルクリンクは国際的に再認知された。
 1954年に開催されたヨーロッパ・グランプリでは観客は40万人以上という驚くべき数を記録している。

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↑1960年のツーリングカー1000㎞レース。コースにガードレールがない。

 1970年にはレースでの安全性を高めるためにコースは大幅に改修されることになった。1700万マルクの費用をかけ、コース幅を広げ、エスケープゾーンを拡大し、多くのガードレールを新設した。そして改修が終わった1971年からドイツ・グランプリが再開された。 しかしニュルブルクリンク北コースは依然として危険という指摘がグランプリ・ドライバーから行われた。レーシングカーの走行では、2ヶ所で1m近くジャンプすること、ブラインドコーナーの先で事故が起きた場合、後続のドライバーが回避できないこと、天候が変わりやすいといった点が危険とされた。
 その指摘の通り、1976年にフェラーリのステアリングを握っていたニキ・ラウダがレース中に大事故を起こして重傷を負い、それ以後は北コースがグランプリレースに使用されることはなくなり、自動車メーカー、タイヤメーカーのためのテストコースとして利用され、また一般市民の走行コースとなった。ただし例外的に1970年に開始されたツーリングカーによるニュルブルクリンク24時間レースは、その後も北コース、南コースを使用して開催され現在に至っている。

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↑1966年のドイツGP。ガードレールなしの狭いコースをF1が疾走した。なお、71年からはガードレールが設置され、76年のラウダの事故の時は、ガードレールに激突した。

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↑1970年。ニュルブルク城のふもとを走るポルシェ908(J.シファート)。

 F1グランプリ用として新しい南コースが1984年に建設され、1990年代には5000人の観客が収容できるメルセデスベンツの特別観覧席、さらに新しいVIP棟の建設、医療技術センターの建設、新しい道路の建設の他、室内娯楽場、アドベンチャーワールド施設などもオープンされている。さらに1999年には最先端の汚水処理設備が完成するなど、施設面は大幅に革新されている。
 また2000年にはコントロールラインの設備が一新され、1600m2の広さを持つデジタルメディアセンターも新設され、現在では世界最高峰のサーキット施設を備えている。
 また、レースだけではなく、ニュルブルクリンクでは、レクリエーション、オートキャンプ、自転車競技などスポーツ・イベント、ロック・フェスティバル、安全運転センターなど多様なイベントや活動が展開され、地域経済にも大きく貢献しているのも特徴になっている。
 一方で、レース時には20万人近い観客が集まるものの、周辺道路の渋滞はほとんど発生せず、また観客のほとんどはオートキャンプをしながらの観戦となっているのもニュルブルクリンクならではのことだ。
 近年では、近隣のベルギー、オランダ、フランスはもちろん、ロシアや東欧から、フェリーで海を渡ってイギリスからなど遠くの海外からクルマに乗ってニュルブルクリンクを訪れる観光客やレース観戦者が多いのも注目される。
 なお、レースの開催時以外は、自動車メーカーやタイヤメーカーが共同で占有するインダストリアルデーが設けられ、この時には各メーカーのテストカーが走行する。また、それ以外の一般開放日には、チケットを購入すると観光バス、オートバイ、レンタカー、自家用車で自由に走ることができる。ただし、一般のドライバーは連続して3周できる気力と体力のある人は稀である。
 ここでのレースに初めて参戦するためには、ニュルブルックリンク専用のライセンスを受ける必要があり、そのためには講習の受講と、コース試走が義務付けられている。したがってどんなベテラン・プロドライバーでも、ニュルブルクリンクに初めて参戦するためにはこの講習を受けるのだ。
 この講習では、特に危険な場所についての注意とが行われる。
 日本のメーカーでは、ヨコハマ・タイヤが最も早い時期、1970年代後半に開発テストを行った。その後、ブリヂストンがポルシェのタイヤ認証を受けるためにテストを実施。(ポルシェのタイヤ認証は、ニュルブルクリンクでのテスト結果が必須)自動車メーカーでは、ブリヂストンの開発エンジニアの進言を受け、日産がR32型スカイラインGT-Rの確認テストで、次いでホンダがNSXのシャシー開発で、またスバルは初代インプレッサWRXの確認テストにここを使用した。テストカーの整備などを行うために、自動車メーカーはサーキットの近郊にワークショップを設けている。
 日産やホンダの実験エンジニアは、ニュルブルクリンクに深い感銘を受け、日産は陸別試験場に、ホンダは鷹栖試験場の中に、ニュルブルクリンクのコースの一部を再現させている。なおトヨタは士別試験場の中にヨーロッパ路、アウトバーンを再現したコースを持つ他、東富士試験場の中にワインディングコースを持っているため、ニュルブルクリンクと同レベルのテストを行うことができると明言しているが、レクサスIS、LF-Aの開発はさすがにニュルブルクリンクを使用している。
 なお、ドイツの自動車メーカーはニュルブルクリンクだけでテストをしているわけではなく、自社のテストコース以外に、ホッケンハイム・サーキット、アウトバーン、アルプスの公道、ピレネー山脈の公道、フィンランドの山地公道などを多用している。
 
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↑観客はレースを見るために1週間近くオートキャンプをしながら滞在する。大樽入りのビール、ソーセージや肉は欠かせない。

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