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ブレーキを踏む

 クルマにとってエンジンかそれ以上に重要な部分がブレーキだ。しかし面白いことに、ブレーキにも国情の違いがかなりあると思う。
 日本では、低速時に軽い踏力でよく効くこと、低速時に鳴きがでないこと、そしてブレーキ・ダストによるホイール汚れが発生しないこと、ブレーキ・ディスクは10万kmていどは無交換であることなどが求められるのだ。
  ブレーキパッドの摩耗は、そのクルマの特徴やユーザーの使用状況により大きく異なるが、平均的な一般ドライバーであれば4万㎞以上、車検2回目ていどまで寿命があるといいうのが平均的なレベルである。もちろんブレーキパッドは、加減速の激しいスポーツ走行で使用すれば1万㎞でだめになることもありえる。
 日本のブレーキはクルマの開発者が追求した部分とユーザーが求めたものが一体化されたものだと考えられる。
 販売店での代表的なトラブルのひとつにブレーキの鳴きの発生があり、販売店のサービス(整備)では、対症療法としてブレーキパッドの面取り、ブレーキパッド裏金へ防振グリスの塗布、防振板の差し替えなどが行われるが、ブレーキの鳴きは走行条件によって一定ではないため、何度も対策を行うことにならざるをえないのだ。
 このようにトラブルになりやすいため、鳴きが発生しないことを前提に、注意深く開発が行われる。しかしながら、この問題はブレーキの効きとはあまり関係がないのだが。
 逆にブレーキの効きに対するクレームは、どのメーカーのクルマでもほとんど生じないといわれる。
 日本のクルマのブレーキは、信号によるゴー/ストップが多く、都市部の市街地では平均速度が20km/hていど、郊外の道路でアベレージ40㎞/h、高速道路でもアベレージは80㎞/hと相対的に低速といった条件の中で育ってきたのだ。
 一方で、高速走行からのブレーキでは摩擦力が低く効きが弱い、数回の繰り返しブレーキでフェードを生じやすい、ブレーキの空気冷却がふじゅうぶんなためフェードからの回復が遅いといった弱点を持つ。
 だから、箱根ターンパイクの下りでカーブごとに強めのブレーキをかけ続けると、ターンパイクを下りきる頃には相当なフェードが発生し、ブレーキパッドから白煙が上がるのも珍しくない。
 ただ、2000年頃から日本の自動車メーカーはヨーロッパ向けなど輸出モデルのブレーキの弱点を解消するのに合わせ、国内モデルのブレーキ性能向上を企図し、従来までの伝統的なブレーキ性能から、ヨーロッパで要求されるレベルまで引き上げるプロジェクトが行われたており、トヨタ・ゼロクラウンではトヨタとして初めてBMW並みのフェードリカバリー性能が達成されたという。
 
 ヨーロッパでは、クルマのブレーキはどのように位置づけられているか。それも国情に由来するところが大きい。ドイツでは、アウトバーンで走行中に突然遅いクルマが走行車線に出てくるような状況で、150㎞/hから80km/hまで一気に急減速する、あるいは地方の丘陵地の多い一般道路で120㎞/hで走行中に、丘を越え視界が開けた瞬間に前方にトラクターが30㎞/hで走行しているのを発見し急減速するといったシーンが想定されており、厳密に低速走行が支持される市街地でのブレーキの関与度はきわめて少ない。
 イギリスでも、郊外の道路は100㎞/hていどで走行し、都市部以外は信号交差路がほとんど存在せず、ロータリー路方式のため停止する場面が少なく、ゴー/ストップという条件は考慮されにくい。
 フランスは、地方道路では100km/h以上で走り、ヨーロッパ随一といわれるほど平均速度が高いため、障害物や低速車を発見して急減速するシーンが重視される。イタリアは、平野部が少ないためフランスほど平均速度は高くないが、老若男女を問わず急加速、急減速という運転モードが主流。
 このようなブレーキの使用状況を考えれば、ブレーキの効き、減速力や減速感が最優先されることは自明である。特に140㎞/hから50㎞/hていどに強いブレーキをかけて急減速するようなシーンでのブレーキ性能が重視されるのだ。
 このように考えると、日本で求められているブレーキの性能や特徴とはまったく異なることがわかる。またヨーロッパの人々は、高速から強めのブレーキをかけるという特徴があることもわかる。とても軽くブレーキを踏む日本とはかなり違うのだ。
 
 しかし1980年代に、ベンツ社がドライビングシミュレーターを使用し、一般ドライバーに危険な状態を体験させたデータでは、70%のドライバーが危険な状態であるにもかかわらずフル・ブレーキがかけられないことが判明したのだ。この結果を受けて開発されたのがブレーキ・アシスト(BA)だった。
 危険な状態であることをブレーキペダルの踏み方で検出し、自動的にフル・ブレーキをかけるという仕組みだ。
 危険は状態が目前に迫っているにもかかわらず、最大限のブレーキがかけられないのは、危険に対する恐怖から身体が硬直し、思い通りに足が動かない、また例え動いたとしても通常使用しているブレーキ踏力以上に強く踏み込んだ経験がない・・・などといった心理的な要素が大きいと考えられている。
 だから、危険に直面した場合は、日常で使用しているブレーキ踏力ではなく、自動的に強制的に最大限のブレーキ力が発生できる仕組みが必要と考えられたわけである。
 日本では、トヨタがほぼ同様な実験を行い、やはりブレーキ・アシストを開発している。
トヨタの実験は、社員をテストに使ったようだが、結果的にはベンツの例と同じように70%ていどの人が危険な状態でもフル・ブレーキをかけられなかったという。
 しかし、日本ではヨーロッパのような高速からの強いブレーキは多用しないという特徴を考えると、トヨタの実験結果は少し楽観的過ぎると思う。
 日常的に使っているブレーキ踏力が弱く、瞬間的に最大限のブレーキ踏力まで踏み込むことはまず期待できないし、また恐怖心で身体が硬直するという現象も生じるから、日本人はヨーロッパでのテスト結果よりさらに甘いブレーキしかかけられないと思う。
 実際、ドライビングスクールや安全運転講習会では、濡れた路面でフル・ブレーキをかける、あるいはABSを切った状態でフル・ブレーキをかけるという体験を行うことが多いが、
危険な状態ではないにもかかわらず、フル・ブレーキに達しないケースがほぼ100%なのだ。
 ABS装備車では、ABSが作動すればフル・ブレーキと判定してOKとされるが、厳密にはそれは正確ではない。ABSを切断した状態でフル・ブレーキをかけ、ほぼ瞬時に4輪が同時にロックするような状態が、本当の意味のフル・ブレーキであり、ABS装備車の場合はABSが作動した状態した現実を見ると、日本ではブレーキ・アシスト装置は必須の装備ということが実感できる。
 
 日常的なブレーキ、危険を回避するためのパニック・ブレーキの他に、より過酷な条件での高速ハード・ブレーキも存在する。それは特に上級ドライバーが超高性能車を操ってスポーツ走行する時に求められるブレーキ走行で、単によく効くということだけではなく、コントロール性や安定感、安心感も合わせて追求されている。
 このようなケースはどのようなブレーキングなのか。
 次の例は、プロドライバーがニッサンGT-Rでニュルブルクリンクを走ったときのデータである。
 
brake_Gs.jpg
↑アレンベルク・カーブに進入・通過する時のデータで、250㎞/hから90㎞/hまで急減速し、最高減速Gは-1.5G、カーブを旋回中は最高横Gも1.5Gを記録している。

frequece3s.jpg
↑同じカーブでブレーキをかけたときのブレーキ・ローター温度、マスターシリンダー液圧の波形。-1.5Gにも達するハードなブレーキではディスク・ローターの温度も急上昇するため、その後はより早く放熱すること、マスターシリンダーでも遅れなくブレーキ液圧が立ち上がるといった微細な点も重要であることがわかる。

 こうしたブレーキは、ドンとペダルを奥まで踏み込み続けるパニック・ブレーキとは異なり、強く踏み込み、ABSが一瞬作動した後は路面やカーブの状況に合わせて微妙にコントロールしている。それは、クルマを停止させることが目的ではなく高速からの急減速と同時に車体の横方向のふらつきやタイヤのグリップ力を制御するからだ。
 またツーリングカーによる耐久レースなどでは、レース専用にブレーキの能力を大幅に高めることが規則で制限されていることが多く、レース形態が長時間走行するため、常時ブレーキの能力を100%
引き出すのではなく、70%ていどで車速をコントロールすることも珍しくない。その場合は、ブレーキのフェードやヴェーパーロックを抑制するための配慮で、ペダル踏力は、弱い反復(フェードやヴェーパーロックの状態を確認する)→強い踏み込み(車速を落とす)→弱いコントロール(ブレーキの負担を少なくしつつ旋回姿勢をコントロール)、といった操作をしながらカーブに進入するといった方法であり、軽量なフォーミュラカーなどとはブレーキ操作が異なるのだ。
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燃費モード

 最近は、運転モード切替スイッチを装備し、ECOモードとかiモードなどを備えたクルマが登場している。もちろん、今後はさらにこうした装備を持つクルマは増加するだろう。
 この原理は次のようなものだ。
 現在のエンジンの総合電子制御とトランスミッション電子制御は統合制御が行われている。トランスミッションは、AT、CVT、TCT(ツインクラッチ・トランスミッション)が該当する。統合制御は、最新のATやTCTは総合トルク制御というロジック、つまり運転の場面ごとにその時の駆動輪に必要な駆動トルクから逆算してエンジン出力やギヤ段数を決めるというものだ。運転の瞬間ごとの必要駆動トルクを算出すると言うことは、路面判定を含めたかなり高度なロジックである。
 また完全な総合トルク制御をしていないクルマでもトランスミッション側のトルク制御とエンジンの出力制御を結合させた協調制御となっている。
 現在はエンジンが電子スロットル化されたために、エンジンの出力制御がかつての点火時期遅角制御だけに頼っていたのに比べ、出力のコントロールがやりやすくなり、さらにスロットルの開度特性も任意に行うことができるようになったことも大きい。
 こうした、システムの下では、エンジンの出力、トランスミッションのトルク、さらにスロットルの開きの速度や開度などをフルに利用し、スポーツ走行向けや燃費走行向けなど制御のモードを自由に設定できることになったのだ。
 そしてより燃費を向上させる運転モードとして、ECOモード、iモードと言った設定が登場しているわけである。
 
 こうした燃費モードの場合は加速時のアクセルの開きを緩慢にする、エンジンのトルクも出方もゆっくりする、アイドリング時の燃費を極限まで減らす、トランスミッション側ではATの場合はクラッチのロックアップ速度を早める、CVTの場合は燃費向けの変速比に設定する、などが行われる。
 つまり加速時のエンジンは、スロットルがゆっくり開き、トルクもゆっくり出る(ターボ・エンジンの場合は過給圧のかかりをゆっくりにし、最高過給圧も抑える)、アイドリング燃費などは多少アイドル回転がふらついても燃費を優先する、トランスミッション制御は、ドライバビリティは多少目を瞑って燃費に有利な制御を優先させるといった感じである。
  もちろん、燃費モードに設定していても、急加速を要するような場合は、アクセルをポンと踏み込めば、通常のモードに自動的に切り替わるようになっている。
 イメージ的にはゆっくり加速になるわけだが、設計エンジニアに確認したところ、これはやはりゴー、ストップの多い都市型の道路で、加速時の速度のオーバーシュートをできる限り少なくするための手段としているこうした運転モードにしているということだった。
 一般ドライバーの運転分析では、圧倒的に加速のオーバーシュート→減速または巡航→加速オーバーシュート→減速または巡航という波型のアクセル操作が多いという。
 一方、ベテラン・ドライバーや、自動車メーカーの10・15モード運転のためのプロドライバーは、直線的に加速してあらかじめ見込んだ速度に達するとオーバーシュートなしで巡航状態に入れることができるため、必ずしもECOモードのような設定は必要ないのだ。
 燃費は、ドライバーのアクセル操作や交通状況の読みなど、ドライバーの癖や能力に依存する部分が極めて大きい。また、ドライバーにとっては、アクセル操作は長年にわたって自己流に慣れてきて無意識になっている部分も大きい。
 だから、燃費モードを備えていないクルマの場合でも、ドライバーの意識改革で10%ていどの燃費アップをはかることは容易だと思う。
 このようにドライバーの操作により燃費は大幅にアップするのだが、依然として一般ドライバーの間では電子スロットルに対する不満が少なくないのも面白い現象である。
 以前のワイヤーで操作される機械式スロットルも、1対1の関係ではなく、アクセル側のリンク機構により色々な仕掛けがあった。電子スロットルは、さらに自由に開度特性を設定できるが、通常は初心者でも車庫入れなどの運転がしやすい、低速でのギクシャク感を少なくするため、低速域ではアクセルの動きに対してスロットルの動きをおとなしくし、開度も少なめにししてある。つまりドライバビリティ重視なのだが、一般ドライバーはスロットルのレスポンスが悪い、もっさりしていると感じるようなのだ。電子スロットルは、アクセルペダルの動きが検出されているので、レスポンスの悪さ、もたつきなどはアクセルペダルの踏み込み速度をを少しだけ速めるだけでじゅうぶん解決するのだが、意外にもドライバーは自分のアクセル操作に対しては自覚がないのだと思う。
 

2月の新車販売

 アメリカでは新車販売は1月に比べ2月はさらに悪化し前年同月比で45~50%にまで落ち込んでいる。新車販売台数は68万8909台。
 ちなみに中国の2月の新車販売台数は、この数字を上回っている。また、昨年秋の金融危機以来、新車の販売は前年同月比で30%あたりで推移してきたが、2月はついに40%といった水準に入ってきたのだ。まさに壊滅的な状態である。
 日本市場は2月は、前年同月比で32.4%の水準で、販売台数は21万8212台だ。
 ところがドイツでは2月の新車販売は、前年同月比(つまりバブル崩壊前)で22%アップの27万7800台だと言う。
 ドイツ政府は、1月から10年ものの旧式車をスクラップにし、新車に買い替えた場合に30万円の補助金を出す「スクラップ奨励金」制度を開始したことも販売を押し上げる要因になっていようだ。
 これによりVW社などは約20%の販売アップになっているそうだ。
 もともと一般的なドイツ人はクルマは10年程度乗るのが当たり前で、そう簡単に新車に買い換えたりしないのだが、30万円の奨励金は個人にとっては魅力なのだろう。したがって、この補助金で小型車を購入することになり、スズキ・スプラッシュ(ハンガリー)、ルーマニア製のダチア、チェコのシュコダなど低価格の東欧製を中心に大いにに売れているそうだ。小型・低価格の東欧製は急伸と見ていいと思う。
 一方、メルセデス、BMWは約25%ダウン、アウディはほぼ横ばいと、プレミアム組は苦戦している。

 なお、ヨーロッパではドイツに続き、フランス、オーストリアなど6カ国で、新車買い替え補助金制度を導入することになり、B~Cセグメントの小型車ブームが来る気配がある。

スピード(2)

 1960年代までの日本では、オートバイやクルマの動力性能テストは、公道で行うことが通例だった。東京なら第2京浜国道の多摩川の近くがその場所だった。0→400m加速タイム、最高速の計測も行われた。当時は、警察署に道路使用許可を得ていたためか、警察官の立会があり、オートバイの最高速ではフライング乗り(タンク、シートの上に腹這いになり足は後方に伸ばすのでペダルは操作できない)、といった曲芸走行を行った。
 同じく、地方にあるオートバイメーカーなども、近隣のフラットな道路を使って、警察官の立会のもとで動力性能試験が行われ、実にのんびりとした時代であった。
 その後は各メーカーがテストコースを作り始めたが、当時のトップメーカーとなったホンダでさえ、荒川テストコースは実は荒川の細長い河川敷を使用した直線路で、かろうじてゼロヨン、最高速テストを行うことができたが、純粋に動力テストの計測用で、巡航といった概念はなかったのだ。
 日本初の高速道路、名神高速道路が完成したのは1965年だった。最高速100㎞/hと、当時としては画期的なスピードで走行できるはずだったが、実際には当時の日本のクルマではオーバーヒートなど故障が続出したし、例え100㎞/hで走行したとしてもエンジンは不気味な振動や音を発生し、また絶えずステアリングを微修正する必要があった。つまり100km/hていどの巡航でも直進性が悪く、かなりのベテランがステアリングを握らない限り蛇行する有様だった。だから一般的なドライバーにとっては、高速走行はとても疲れるというのが実感だった。ただし、開通当時は、通行車両が極めて少なかったため、前後の視界に他車が入ることは稀で、交通環境としては申し分なかった。
 この高速道路開通にあわせ、トヨタはRT40型コロナのPRのために名神高速の小牧-西宮間で10万㎞往復耐久テストを行った。58日間で276往復走行を行ったそうだ。
 1969年、東名高速道路が全線開通し、この東名・名神高速道路により、日本にもようやく本格的な高速時代が開幕した。
 またこのようなインフラの整備を見越し、自動車メーカーも高速テストコースを建設し始めたが、財団法人の自動車高速試験場(後の日本自動車研究所)も1964年に自動車高速試験場を谷田部で運用を開始した。全長5.5㎞のコースで1.5㎞の2本の直線路を繋ぐバンクの設計速度は180㎞/hで、バンク角は最大45度、バンク部分は400Rであった。この試験場がオープンした時点では、自動車メーカーのテストコースより谷田部コースの方がはるかに高速であったため、その後の長い期間にわたり、自動車メーカーが高速走行試験を行うためにはこのコースを専有し通うのが通例となった。
 自動車メーカーが谷田部を上回るスケールのテストコース(プルービンググラウンド)を建設し運用を開始したのは1980年代に入ってからである。
 谷田部高速試験場
↑日本自動車研究所・谷田部高速周回路
 
 日本における高速走行の歴史はこのように浅いといえるが、巡航性能に関してはテストコースとはまた別の話である。エンジンやシャシーの作りががっちりされるようになった1980年代以降は、日本自動車試験場の谷田部コースや、自動車メーカーのプルービンググラウンドの高速周回路を160km/hで走行するのはきわめて容易であり、不安感もなく、郊外の道路を50㎞/h程度で走るのと同レベルのスピード感である。さすがに200㎞/hレベルの最高速を試すにはバンクでの縦Gや空力的な安定性などに対して神経質にならざるをえないのだが。
 高速周回路は、路面が滑らかなアスファルトで、凹凸やうねりがなく、コース自体もフラットで、コース幅も12m・3車線以上という幅がある一方通行のため、通常の道路のようなストレスがないのである。
 もちろんテストコースの中にはヤマハの袋井コース、スズキの竜洋テストコースなどのようにレース用サーキットを模したコース形状で路面もローカル道路のように荒れた舗装も存在するケースや、トヨタの東富士試験場での高速ハンドリング路など、いわば総合的なハンドリング試験を行うコースも存在している。
 ただ、実際のアウトバーンのような速度の高い道路を再現するのは難しく、1980年代に建設されたトヨタの士別試験場、日産の陸別試験場、ホンダの鷹栖試験場の高速周回路にはアウトバーンを模した大きなカーブや路面状況を設けているが、やはりじゅうぶんとはいえない。テストコースはあくまでテストコースであり、実際の道路環境とはまったく異質なのである。
 ドイツやヨーロッパの自動車メーカーは、自社内のテストコースは定量的な試験を実施することに限定され、高速走行の試験や評価はアウトバーンやアルプス路を走って行われるというきわめて当然の話である。
 アウトバーンのような高速道路は公道であり、各車線での他車の動きや風、雨や雪などの天候、路面の荒れやうねりなど、高速周回路とはまったく別次元の要素が入り込んでくる。このような環境のもとで、エンジンの回り具合や振動・騒音、乗り心地、操舵フィーリング、ブレーキ・フィーリングなどを熟成することで、ドライバーや乗員にとっての安心感や快適さが高められ、巡航速度を向上させることにもなるのだ。また巡航速度が高いと言うことは、日常域でもより大きな安心感や余裕性能となることはいうまでもない。
 ステアリング・インフォメーション(プレシージョン)、ステアリングの正確さ、リニアリティ、穏和な小舵角応答、バウンシングの安定感、ボディのダイナミック剛性・・・といった断片的な言葉は、こうした新しい次元に向かってのキーワードである。
 高速道路におけるさまざまな性能は、いわゆる物理的に記録される最高速度とはまったくカテゴリーが異なっている。最高速やゼロ発進加速性能などもクルマにとっては重要な指標のひとつではあるが、実際の走るスピード、巡航性能はこのような定量的な指標では表すことができないということは、1990年代以降の日本のクルマにとって依然として大きな課題になっているのである。

スピード(1)

 スピードはクルマの原点のひとつだろう。そして、クルマのスピードはクルマが誕生して以来常に大きなテーマになってきた。
 クルマがこの世に登場した時には、馬車より速く走ることができることを証明することが重要だと考えられた。
 まだエンジンで動くクルマは懐疑的な存在であり、騒音や臭いガスを撒き散らすやっかいな存在とされ、イギリスでは新しいものが好きな貴族がクルマに乗ると罰金が科せられた。1865年には赤旗条例が制定され、クルマを市街で走らせるためには、乗車員2名の他に、もう1名が赤旗を振りながらクルマの前方を歩くことが決められていた。さすがに1878年には赤旗は廃止されたが、乗員は前方の馬車の馬の興奮をなだめるために馬車の御者と協力する義務があり、クルマの法定最高速は市街地で3.2㎞/h、郊外で6.4㎞/hと、不当に低くされた。
 イギリスでは1895年に、ようやくクルマの前方を乗員が歩く必要がなくなり、市街地は19㎞/h、郊外は22㎞/hの最高速度に上げられた。この規制緩和を記念したロンドン-ブライトン・ラン(レース)の優勝車は平均時速26㎞/hで完走したという。
 
 世界初のレースは1887年にフランスで雑誌社が企画した試走会といわれているが、この時は参加台数1台で、ド・ディオン伯爵の駆る蒸気自動車がただ1台で試走を行った。
 もっと本格的な自動車レースは1894年にフランスの新聞社の主催で行われた「パリ-ルーアン・馬なし馬車による競争」だった。参加資格は50kmを4時間以内で走破できるクルマとされたが、参加車は120台にのぼった。ガソリン・エンジン車、電気自動車、蒸気自動車、圧縮空気エンジン車、水圧エンジン車などなまざまな動力のクルマが集まったが選抜走行でガソリンエンジン車が37台、蒸気エンジン車が29台に絞られ、さらに予選で21台となり、決勝に進むことになった。もちろん都市間レースのため、電気自動車は航続距離が不足し参加できなかった。
 この画期的なレースでは4台が完走し、トップでゴールしたド・ディオン伯爵の蒸気エンジン車はメカニック同乗であったため、単独走行のパナールが1位、ド・ディオンが2位とされ、プジョーが3位とされた。なおパナール、プジョーともに、搭載エンジンはダイムラー社のマイバッハ技師が設計したエンジンだった。そういう意味で言えば、ガソリン・エンジンの特許を取得し、製造したのはダイムラーであったが、レースで性能を実証したのはフランス人達だった。
 この第1回レースはクルマの信頼性を実証するための大イベントあったが、1895年の2回目は、さらに長距離のパリ-ボルドー往復レースとされ、明確に速度を競うことになった。2座席車は優勝扱いとはされず4座席以上のクルマに優勝の権利があり、7人乗りの蒸気エンジン・バスも参加した。
 このレースでは2座席のルバッソールがトップでゴールしたが2座席車であったため、公式優勝は4座席のプジョーが獲得した。なお、ルバッソールは1171㎞の行程を平均時速24km/hで走破している。
 翌年の1896年には、パリ-マルセイユ往復(1795㎞)のレースが行われた。参加したのは4輪車が24台、3輪車が4台で、蒸気エンジン車が3台、他はすべてガソリン・エンジン車となった。
 この長距離レースでは、ドライバーはいずれも悪天候の中でのコースアウトや故障、事故などを経験する大冒険を強いられたが、またもやパナール・ルバッソールが優勝し、平均時速は25.6㎞/h。つまり当時の路面の荒れた狭い道路を50㎞/h以上の速度で走っていたことになり、そのスピードを実証した。当時は未舗装路であり、貧弱なブレーキとタイヤ、重力式のオイル潤滑、さらのコース途中での修理も必須であったことなどを考えると、恐るべきスピードで街道を走っていたことになる。
 このレースの模様をレポートしたイギリスの自動車雑誌の記者は、「自動車はすばらしい。スピードが速くなればなるほど気持ちはわくわくし、その楽しさは表現しようもない」と書いたそうだ。なお、このレース中に犬が15匹、轢き殺されたと伝えられている。
 1898年には、私的にではあるが、フランス人貴族がパリの近郊の道路区間1㎞での最高速記録に挑み、電気自動車を使用して62.8㎞/hを記録している。この時点では、最高速は電気自動車のほうがガソリン・エンジン車より勝っていたのだ。
 
 1900年代に入ると、ヨーロッパ、アメリカなどでクルマのスピードを競う競技会は激増し、ヨーロッパではグランプリ・レースも開催されるようになっている。また1921年にドイツのベルリン郊外に完成した世界初の自動車専用道路を兼ねたサーキットでもあるアヴァス(自動車交通および運転習熟用道路の頭文字。後のアウトバーンの先駆)では、並行する長い9㎞の直線路を繋ぐ折り返しのバンクでも160㎞/hで走行でき、完成後に行われた1931年のレースでは平均速度185km/h、36年のレースでは、メルセデスベンツ・レーサーの平均速度260㎞/h、そしてアウトウニオンのPワーゲンに乗るB.ローゼマイヤーは非公式で平均284㎞/hに達していた。この当時のレース用タイヤは、今日のものと比べて格段にグリップ力が低く、極細であったことを考えれば、いかに当時のレーシングカーのスピードが強烈であったかわかる。
 一方、公道でのクルマのスピードは、クルマ自体の性能だけではなく、道路、タイヤなどにも大きく影響されたが、例えばドイルでアウトバーンの建設が着手された1920年代後半には、こうした自動車専用道路では100㎞/h以上のスピードで走行することが考えられていた。ヒトラーが1933年頃に提唱した国民車構想でも、廉価な大衆車であるにもかかわらず、アウトバーンで100㎞/h以上の巡航スピードが要求されていたことはよく知られている。
 なお1939年頃にトヨタ自動車で開発された小型車(4気筒SV・2.2Lエンジン)、新日本号の最高速は97㎞/hとされているが、これは平坦な滑走路のような場所でのデータで、アウトバーンでの巡航スピードを想定すればせいぜい50㎞/hあたりだろう。
 第2次世界大戦により、乗用車の製造は全面的にストップし、したがって戦争が終わってもしばらくは、各国とも戦前型の乗用車の生産を再開することや、超小型のミニカー作りから戦後のクルマの歴史が始まった。こうした戦後復興期は1950年頃まで続いた。そして50年代半ばからは戦後設計の高性能車が登場するようになる。
 戦後の復興期の1956年に登場したメルセデス・ベンツ220aは、フロント・ダブルウイッシュボーン、リヤ・ローピヴォットスイングアクスルという4輪独立懸架、6気筒OHC・2.2L、100psエンジンで160㎞/hの巡航が可能であった。当時の日本製のクルマの代表格である初代トヨタ・クラウンは1.5Lと1.8LのOHVエンジンが搭載され、公称最高速は100km/hとされていたが、これも実際の巡航最高速は70km/hていどであろうから、彼我の差はきわめて大きかったといわざるをえない。
 
 
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